取締役山内 博之

Yamauchi Hiroyuki

ING 30周年

環境を味方に変えて

置かれた立場で、何をすべきか必死で考える

オフコン全盛期後半の設立当時

社内旅行 私が30歳になる年の1988年2月にINSがスタートしました。当然、お客様はゼロでしたが、スタート時メンバー全員が業界の経験者で、私自身も以前の会社でCE、SE、そして営業を3年くらい経験していたうえに、取り扱う製品は当時、業界の2強の一つNECということもあり、あまり不安はなかったように記憶しています。
スタートして1、2カ月以内に当時の営業3人全員が、それぞれシステム構築の注文を頂けるという幸先の良いスタートが切れたのは、時代と人とのつながりという2つの大きな要因があったと感じます。
この時期はオフコン全盛期後半で、未導入の企業や既に導入はしているが他社ベンダーに乗り換える選択肢があった時代だったのと、もう一つは人のつながりで、メンバーそれぞれの前職で関係があった人達がお客様になってくれたり、導入を考えている知り合いを紹介して頂けた事などが挙げられます。
こうして無難なスタートが切れた感謝の気持ちで、お世話になった方々をお招きして設立パーティーを開く事になり、終業後、奥道後近く(伊台)まで伊予万歳を習いに通い、パーティーで披露した事は鮮明に覚えています。

寝る間も惜しんだバブル全盛期

設立して1年も経たないうちに昭和から平成へ元号が変わり、システムで使用している年表記と初めて施行される消費税(3%)に見舞われました。しかし、SE、プログラマーはその対応で夜遅くまで仕事をしているにもかかわらず、仕後に近くのボウリング場へ出動し、そのあとは水分補給でスナックにも出勤している日々が多かったように思います。(彼らは、いつ寝ていたのでしょう?)
私も彼らにボウリングのマイボウルをプレゼントされ仕方なく付き合い、カモネギ状態でした。後で聞くとゲーム数のポイントでボウルがもらえるようになっていてカモネギ用にポイントを貯めたようです。そしてこの頃はバブル全盛期!松山でもその傾向は表れ、昼間の仕事での飛び込みだけでなく、夜のネオン街での飛び込みも頻繁にやっているような時代でした。

退路を断たれた気がした 試練の頃

社内旅行 1992年、会計システム『Σ(シグマ)会計』を売出すことになり、私自身、東京、大阪の展示会出展や各地の販売店への営業をしながら、地場の企業様への基幹業務の営業を掛け持ちしていました。東京でのある展示会で、地場の大事な企業様より私と連絡が取れないというようなクレームが入り、これをきっかけにこれまでのお客様の担当を外され、『Σ会計』の拡販に専念するように!と言われた時は、退路を断たれたような気がしました。退路を断たれる、あるいは自ら断つのは、その時は大変でも後々必ずプラスになってくると今になればそう受け取れます。なぜなら、限られた中でどうすればよいかいろいろ考え工夫もするが、選択肢が多ければ多いほど中途半端になって得られるものは少ないと実感したからです。
こんな言葉があります。『小才は、縁に出合って縁に気づかず、中才は、縁に気づいて縁を生かさず、大才は、袖すり合った縁をも生かす』激しく変動するコンピューター業界にあって、今日、30周年を迎えることができたのは、会社立ち上げ時にお世話になった方々や今までお付き合いさせて頂いたお客様、仕入れ先様、またその時々に置かれた環境を味方にできた幸運のおかげです。40周年、50周年そして夢である100周年を迎えられるように常に感謝の気持ちをもって残された日々を大事にしていきたいと思います。