前会長松下 晃(2021年5月退任)

Matsushita Akira

ING 30周年

「小さな大会社」にするという約束

苦しかったこと、楽しかったことが
走馬灯のように

企業が30年継続することの重みを感じています。
多くの人に支えられ、多くの人と力を合わせ、多くの人のおかげで今のINSは存在しています。 INSに関わってくださったすべての方に感謝をしながら、この30年を振り返ってみたいと思います。

ゼロからの出発

伊予万歳 1988年2月17日。
 先代社長 武村勇太郎氏のもとに3社から集まった14人のプロ戦士たちによって、INSはスタートしました。
 設立記念式典では、社員全員で伊予万歳の「松づくし」を披露しました。約1カ月間、仕事が終わった後、社員全員で遠方まで踊りの練習に通ったことを覚えています。INSとして私が最初に一体感を感じた出来事でした。
 しかし、設立に至るまでには紆余曲折がありました。NECの一次販売店(特約販売店)認可に伴い、本社事業部は了承したものの、現地の松山支店は「新設で実績のない会社を一次店にした前例はない」と認可に難色を示しました。
 結局二次店から船出をし、何の資産もなく、全くのゼロからの出発となりました。NECのプラットフォームでの開発は今まで経験もなく、何もかも勉強しながらの開発であり、大変な苦労をしました。そんなときに支えとなったのは、お客様からの期待感と信頼感でした。

プライドと意地だけで14人のプロたちがそれぞれの能力を発揮し、1年後には、想像をはるかに超える売上を達成することができました。
 その業績を認められ、翌年からは一次店となり、その後においても着実に業績を伸ばし、現在に至るまで黒字経営を続けています。
 1989年には技術者派遣事業を開始し、INSの企業運営の安定化に大きく寄与することになりました。この派遣事業に広がりができ、翌1990年には11人、翌年には12人の新入社員を迎え、総勢約40人となりました。
 大所帯になりましたが、社員同士の親睦を深めていくために、仕事が終わってからバスケットの練習をしたり、また、野球部を作り(チーム名:INSドリームズ)松山市の3部リーグに参加したりしたほか、ボウリング大会をしたり、毎年、社員旅行に行ったり、夏にはキャンプをしたりと仕事で忙しい中にも、社員みんなで楽しむ時間を作り、武村の“親父”を中心に一体感(ファミリー感)を大切にしてきました。
 当初の5年間は振り返る暇もなく、ただ前を向いて突き進んでいくだけの期間でした。寝る間もないぐらい忙しかったけれど、本当にやりがいのある楽しい時期だったように思います。

1990年には、先代の武村社長の夢でもあった、一般財務会計ソフト「Σ会計」のMS-DOS版の開発をスタートさせ、1992年に完成し全国販売を開始しました。その後、1996年Windows版も完成し、パッケージ戦略の礎を築いていくことになります。全国に広めていくための販路拡大の方法、サポートはどうすべきかなど、新たに学んだことは多く、それらは現在のパッケージ戦略の財産として息づいています。

小さな大会社へ

先代の社長、武村勇太郎氏は2000年頃から体調が悪くなり、療養生活を余儀なくされていました。2001年の夏が過ぎたころ、療養中の病室に呼ばれ「私はもう無理だと思う。これからは君が社長としてやってくれ」と言われました。「まだ自分には荷が重すぎる」と、お伝えしましたが「君以外にできるものはいない。是非頼む」と頭を下げられました。その勇太郎氏の思いに応え、私は社長を引き受けることにしたのです。
 それから約半年後の、2002年4月に勇太郎氏が亡くなりました。覚悟をしていたとはいえ、何とも言えない脱力感と不安感が押し寄せてきました。
 しかし、社員の前では不安な顔を見せるわけにはいかず、勇太郎氏に教えられた「人のために」の言葉を胸に、何とか社員と一緒にこの危機を乗り越えなければならないと強く思ったことを覚えています。

未来のINSを「小さな大会社」にする 私が社長になり、未来のINSを「小さな大会社」にするというビジョンを掲げました。
 「小さな大会社」とは、資本金や売上の大きさではなく、社員一人一人の存在価値が高く、また付加価値が高い会社こそ「大」会社であるということです。その為に、社内の組織編成も新たにし、部門の独立採算制を取り入れ、そして社員への利益還元の仕組みを確立しました。
 私自身、先代が亡くなってから数年は、経営者としての重圧とプレッシャーで押しつぶされそうになりましたが、社員の皆さんの頑張りで何とかこの苦境を乗り切り、なおかつ業績も向上していきました。
 2004年には、念願の自社ビルを建設。2008年には、現在の主力製品でもある、学校の先生向けに開発した「ミライム」を製品化し、全国販売が始まりました。当初は少ない人数で苦労もありましたが、それまでのパッケージ事業展開のノウハウも生かしながら、現在では収益の大きな柱に育っています。

思いや社風を次の世代へ

2001年に私が代表取締役に就任した時から、事業を成長させて安定期に導き、次世代に事業承継していくことをずっと念頭に置いていました。
 そして、2010年、次の世代に無事承継できたことは、先代の勇太郎氏もきっと喜んでくれていると思います。
 今、武村貴史社長の下で事業展開していますが、現社長も私と同様に不安や重圧に襲われることもあるかと思います。しかしながら、今後も優秀な社員がいる限り、INSは成長していくと確信しています。
 設立当初は、36歳だった私と同年代の社員もそろそろ定年を迎える年齢になり、世代交代が始まろうとしています。設立当初のことを知らない若い世代も増えましたが、この30周年の節目に自社の歴史を振り返って、INSの社風や伝統を理解し、そしてその思いを引き継いでいってもらいたいと願っています。

最後に

振り返ると楽しかったこと、苦しかったことが走馬灯のように甦ります。INSがここまで継続できたことを誇りに思います。
 今30周年を迎え、強く感じることは、社員の皆さんへの感謝、取引先様への感謝、そして何よりお客様への感謝です。これからも感謝と報恩の心を持ち、歩み続けたいと思います。